私は、所得格差が広がってきたとはいえ、基本的には階級というものがなく、その気になれば誰もが社会的なプレッシャーを受けずにブランド品を買い、使える日本の環境は素晴らしいと思っている。特定のクラスに属していなければ、ブランド品を買うことが許されず、厳しい目を向けられる社会に生きるよりはずっとずっと幸福だ。階級社会など御免こうむりたい。日本では、ユニクロの服を着てブランド品を手に持とうと、ブランド品だけが浮きまくって、全体のJIディネートに問題が生じていようと、後ろ指をさされることなく街を閲歩できる。センスが悪いとはいわれても、「持つべきクラスではないのに持っている」とは非難されない。生活そのものがブランドの本来のレベルとはかけ離れていても、コツコツとお金をためれば自分が好きなモノを買えて、自由な着こなしができる社会というのは貴重だ。そもそも日本の経済成長とは、階級を意識することなく、欲しいモノを買える大衆社会が促してきたのだ。だからといって、現在のブランドブームをすべて肯定はしない。誰もがブランド品を手に入れることができる環境にあることと、一部のブランドに人気が集中するブランドブームとは別の話だ。自由にブランド品を買う権利が認められているからといって、なぜその権利が「特定のブランド品の購入」という形で行使されてしまうのか。どうして、いろいろな選択肢に向かわず、いくつかの決まりきったブランドに向かってしまうのだろう。その疑問に用意された答えとして「成熟した消費者説」なるものがある。たとえば、マーケッターの西川りゅうじんのこんな発言だ。(ブランドブームは)バブル期を経験した女性たちがブランドに対する識別眼、つまり本物を見分ける力がついたということと関係が深い。いま人気が高いブランドに共通しているのは、決してブランドだけでは売れているわけではないということだ。素材も仕立てもデザインもよく、長持ちする。それが評価されている。(PHP『THE21』一九九六年九月号)西川りゅうじんだけではない。経済評論家の中にもこうした説を唱える人が目立つ。あなたはこの説を信じられるだろうか。私は到底信じられない。エルメスの大型店の開店前にできた寝袋持参の長蛇の行列客、限定品発売の前にブランドショップの前でしゃがみ込んで開店を待つ人々。こうした光景からは、とても「識別眼のある消費者」像をうかがうことなどできないからだ。ブランド品は長持ちするから、というのは、ブランド品購入の理由としてよくあげられる答えだが、これは建て前に過ぎない。伝統を踏まえ「変わらないこと」を売り物にしていたブランドがファッション化し、モードに近づいたことで、若い世代の支持を集め、現在のようなブランドブームが形成された。彼女たちは、シーズンごとに発表される新作を買い、句のファッションとしてブランド品を消費している。もちろん、バブル期を通して、本当に良いモノの識別眼を身につけた人もいるだろう。多少底上げはしているかもしれない。それは否定はしないが、現在のブランドブームを中心になって支えているのは、新しいモノ好きの、ファッションに目がない消費者である。こうした消費者は、「成熟」とはあまりにもほど遠いと思えてならない。